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養護教諭を目指す学生が把握しておくべき学校保健の起源と変遷

その他

2020/10/14

学校の保健室に常駐し、生徒の身体的・精神的な健康を維持する役割を持つ養護教諭は、原則として学校への配置が必須です。生徒の抱える健康問題が多様化している現代において、養護教諭が中心となって行う学校保健は非常に重要ですが、初めから学校保健に関する制度が整っていたわけではなく、時代の変化とともに改善され続けてきました。
そこで今回は、養護教諭を目指す学生が把握しておくべき学校保健の起源と変遷についてお伝えします。

学校での健康管理・環境設備・保健指導の起源

痘瘡やコレラなどの伝染病が大流行した明治5年、学校での感染を防ぐ目的で、感染者の出席停止を行ったことが学校保健の起源と言われています。明治11年には、現在の健康診断にあたる「活力検査」が初めて実施され、生徒の身長・体重等の体格測定や体力測定が開始されます。
また、明治23年に発令された「小学校令」では、学校設備に関する規定が掲げられ、安全や衛生に配慮した学校・教室の建設規定が設けられました。さらに、昭和22年には、米国教育視察団より日本の保健教育の課題点が指摘され、生徒に対する保健の授業が開始されました。

「学校医制度」の制定と設置率の変遷

明治31年に「学校医制度」が設けられ、全国の公立小学校に1名ずつ学校医が配置されるようになりました。学校医は、生徒の身体検査や環境衛生の監視などを行う役割を担いましたが、生徒の疾病や怪我の治療に関することを担うよう定められていませんでした。その後、大正9年に規定が改められ、学校医は、従来業務の他にも疾病欠陥児への就学に関する助言・指導、不調を訴える生徒への特別措置なども併せて担うことになりました。
学校医制度制定の翌年、学校医の設置率は約20%でしたが、10年後には約50%、20年後には約80%にまで達し、学校医は、現在においても生徒の健康維持のために重要な役割を担っています。

養護教諭の起源「学校看護婦」の歴史

養護教諭の起源である「学校看護婦」は、明治33年、学校医の補助業務を行う職員として学校に配置され始めました。学校看護婦は、生徒の怪我の応急処置や疾病予防、身体検査の補助、身体や衣服の衛生訓練などの業務を行い、大正15年に約900人、昭和4年に約1400人が全国の学校に配置されました。
治療補助業務よりも保健教育の指導が重視されるようになった昭和16年、学校看護婦は「養護訓導」へと名称が変化し、原則的に教員として学校に配置することが定められました。その後、「養護訓導」は現在の「養護教諭」へと名称が変化し、現在では保健室で生徒の心身の健康を護る先生として非常に重要な存在となりました。

今回のまとめ

痘瘡やコレラなどの伝染病が大流行した明治5年、学校での感染を防ぐ目的で感染者の出席停止を行ったことが、学校保健の起源と言われています。明治11年には現在の健康診断にあたる「活力検査」が、明治23年には学校設備に関する規定が、昭和22年には生徒に対する保健の授業が開始されるなど、学校保健は現在に至るまで改善が進められてきました。
また、明治31年に「学校医制度」が設けられ、全国の公立小学校に1名ずつ学校医を配置されるようになり、学校医の補助役として「学校看護婦」が配置されるようになりました。学校看護婦は、養護訓導へと名称を変えて教員として保健指導を行うようになり、現在では養護教諭が学校保健において重要な役割を持つまでに至りました。